2019-09-17

女性冒険家、イザベル・エベラール(1877-1904)の「On Vagrancy」を訳しました。

Dawn in the desert – Aleksey Savrasov

放浪について

英語訳全文

これまでほとんどの知識人は、放浪者になる権利、さまよう自由という問題を考えてこなかった。しかし放浪とは解放であり、オープン・ロード(訳注:さまざまな目的地に通じる郊外の道のこと)の上の人生は自由の本質である。私たちに(自由を与えるという口実のもと)重しをつける現代社会の鎖を破壊する勇気を得るためのものであり、それから象徴的な枝を結んで出ていくためのものである(訳注:よくわからない)。

孤独な自由の価値と楽しみを理解する者(孤独でない者で自由な者はいない)にとって、立ち去ることはすべての行為のなかでもっとも勇敢で最高の行為である。

それはエゴイスティックな幸福だろう、おそらくは。しかしその味わいを楽しむ者にとって幸福である。

孤独でいること、貧困であること、無視されること、アウトサイダーでいること、それでいてどこにいてもくつろぐ者。そして自分の足で歩く、世界の征服に向かって。

眼前に開ける地平線を見つめる、道端で座っている健康なる旅人は、大地の、水の、そして空までもの絶対の主人ではなかろうか? どのような定住者が彼と富と権力によって張りあうことができようか? 彼の財産には限りなく、彼の帝国には法がない。彼を地面に屈服させる労働はなく、大地の恵みと美しさは彼のものであるために。

現代社会では、ノマドは「住所不定の」パーリア(被差別階級)である。イレギュラーに見える人々の名にこの言葉(「住所不定の」)を加えることによって、立法者とその執行者は人間の運命を決めることができる。

住居、家族、財産や公的役割を持つこと、明確な生活手段を持つこと、社会的機械の有用な歯車となること、これらすべてが必要であり、不可欠でさえあるとほとんどの人間が考えている、知識人や自らを完全に自由だと考える人さえ含めて。しかし、このようなことは他者との関係、とくに日常的で持続的な関係に由来する奴隷制の別の形態でしかない。

同じ町の同じ地区に20年や30年暮らしてきた、一度も生まれた都市を出たことがない市民、ときにはまったくひとつの家で暮らしてきたという市民たちの話を、私はつねに感心をもって、そうでなければ羨望をもって聞いてきた。

水平線の神秘的な青い壁の向こうには何があるのか知りたい、見てみたいという切望を感じることなく、単調で鬱屈した生活に気づくこともない。未知なる遠方へと続く白い道を見る、それに屈して、従い、山や谷を越えてしまおうという希求を感じることなく! 人間はひとつの場所に留まらなければならないという臆病な信仰は、動物の無条件の忍従と、奴隷状態に無感覚となった、しかし常に馬具をとりつけられることをつねに進んで受けいれてしまう輓獣をあまりにも思い起こさせる。

すべての領地、すべての組織権力を統治する法律には限りがある。しかし放浪者は、ただ実在しない水平線によってのみ限られる広大な大地のすべてを所有しており、そして彼の帝国は触れることができないものである。なぜなら、彼の支配と楽しみは、彼の精神のものだからである。

(訳文ここまで)

イザベル・エベラールについて

セーラー服を着たイザベル。18歳当時。

――異邦の者よ、遊牧民の戦士たちのなかで一体何をしているのか?
――私は自分の運命に従っている。

イザベル・エベラールIsabelle Eberhardtを知る人は日本でほとんどいないだろう。私も最初はイザベラ・バードかと思ったのである。しかし彼女は、私の想像よりはるかに大人物だった。

彼女の生涯は非常に特異であり、簡潔にまとめることは難しいが、まとめてみる。

彼女は、アラビア語で「日が没するところ」を意味する北アフリカのマグリブを男装しながら放浪した冒険家、著述家である。美しい霊感を受けた作品を残した。

彼女の父、アレクサンドル・トロフィモフスキーは家庭教師であり、バクーニン主義のアナーキストだった。彼女は父に寵愛されて十分な教育を受けた。フランス語に堪能であり、ロシア語、ドイツ語、イタリア語を話し、ラテン語、ギリシャ語、古代アラビア語の教育を受けている。

もともとトランス・ジェンダーの気質があったようで、幼少期から男の子の格好をし、乗馬や猟を楽しみ、髪を刈っていた。父親はそれをたしなめることはなかったようだ(さすがアナーキスト)。思春期のときには、彼女は船乗りの格好をして、本物の船乗りとビールを飲むことを楽しんだ。

10代の頃にルソー、ドストエフスキー、トルストイ、ナドソン、ボードレール、ヴォルテール、ゾラなどの作家に親しんだ。特に彼女が強い影響を受けたのはピエール・ロティの「Le Roman D’un Spahi(スィパーヒのロマンス)」であった。スィパーヒとはフランス軍に従事するアルジェリア出身の騎兵のことである。

彼女はイスラム教とマグリブに恋い焦がれた。彼女は女性名を捨て、アラブ人の格好をした。ムスリムに改宗し、マグリブを放浪した。マグリブにおいて彼女はセックスと大麻の放縦な生活を送った。しばしば非常に不機嫌であり、頻繁に自殺未遂をしている。後年の研究では双極性障害だったとされる。彼女はフランス当局に暗殺されかかった他、フランスのスパイと疑われ、腕を切り落とされている。

彼女は発熱に苦しみ、アルジェリア北西部のアインセフラで療養したが、そこを洪水が襲い死んだ。それ以前に、彼女の肉体は薬物やアルコール、また梅毒とマラリアにより衰弱しきっていたとされる。研究家たちの多くは、彼女は洪水から逃れることなく、あえて受け入れて死んだとしている。

以上、彼女に詳しい人からすれば半端な知識と怒られそうだが、まとめてみた。彼女の人生は数奇なものである。実際、その生涯はなんども映画化されている。伊東聰という人物がブログで詳細な伝記を書いているので参照されたい。彼女の著作は日本語では「砂漠の女」のみ読める。英語版Wikipediaも参考になる。

終わりに

苦しむことは良いことだ。人間を高貴にするから――イザベル

アナーキスト・ライブラリーで彼女の「On Vagabond」を見つけて、非常に共感を覚えた。しかし、彼女の生涯を知るにつれて複雑な心境となった。

奇妙な人生である。彼女の人生には強烈な喜びがあると同時に、深い悲しみと絶望が感じられる。実際、イザベルの映画は悲劇のように描かれることが多いようだ。彼女はある意味で、非常に賢く強かった。他方では、ガラスのような弱さと脆さを感じる。

ともあれ、彼女は生きた、そして27年の人生を生ききったのだろう。

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