2020-02-21

人間社会は、合理的に理解することはできない、それが何であるかを認識するまでは……つまり、人間農場。

前々から好きな動画があります。

「The Story of Your Enslavement」という動画。

非常に人気があり、700万回再生されてます。

まだ日本語訳がないので私がクソ訳しました。

英語が聴き取れる人は直接動画を見てください。

君の奴隷化の物語

これは君の奴隷化の物語だ。

どうしてそうなったか。

そしてどうやって君がついに自由になるのか。

 

すべての動物と同じように、人間は周囲の資源を支配し利用することを望む。

第一に、私たちの大部分は狩猟と漁によって土地から食料を得た。

しかしあるとき魔法的で――ひどいことが――私たちの精神に起きた。

私たちは――動物たちのなかで唯一、死を恐れるようになった。

それと将来の損失も。

壮大な悲劇はこうして始まった――あるいはさらに酷くなる可能性もある。

つまり、我々が死を、怪我や投獄を恐れるようになったとき……我々はコントロール可能になる。

そして、高い価値を持つようになる。他の資源にはなかったようなあり方で。

人間が管理する最大の資源は、自然資源や道具、動物や土地ではない。

他の人間たち、である。

君は動物たちを脅かすことができる。動物はその瞬間の痛みを恐れるから。

しかし動物の自由を奪うことで脅かすことはできない。

また未来の投獄や拷問によっても……。

なぜなら動物は「明日」の感覚をごくわずかしか持たないからだ。

君は牛を拷問にかけたり、羊を死によって脅迫することはできない。

木に剣をふりかざしてもっと果実を実らせろと叫んでも意味がない。

あるいは燃えさかる松明を持って農地に小麦を要求しても無駄だ。

メンドリを脅しても卵が多く得られるわけではない。

しかし、人間を脅すことによって、彼の卵を奪うことはできる。

この「人間農業」は歴史上もっとも利潤が得られ……もっとも破壊的な職業だった。

そしてその破壊的なクライマックスまで到達しようとしている。

人間社会は、合理的に理解することはできない、それが何であるかを認識するまでは。

つまり、一連の農場……

人間家畜を持つ、人間農場。

 

人々のなかには混乱する者がいる。政府がさまざまなものを提供するではないかと。

医療、水、教育、道路。

そしてそこには「慈悲」が働いているのだと想像する。

まったくの見当違いだ。

畜産家は「医療」「灌漑」を提供する。そして訓練する。彼らの「家畜」を。

人々のなかには混乱する者がいる。私たちには一定の自由が許されているではないかと。

そして想像する。

私たちの政府は自由を「保護」しているのだと。

しかし農家は穀物に一定の距離をもうけて植える、収穫を高めるために。

そして一定の動物には大きな「stalls(厩の仕切られた一画のこと)」、「牧草地」を与えられる。より多くの肉とミルクを生産できるのであれば、だ。

君の国、君の「税金農場」では……

畜産家は君に一定の自由を与える――それは彼が君の自由を懸念しているからではない。

利益を高めること、それを彼は求めているのだ。

自分が生まれた檻の性質が見え始めただろうか?

 

人間農場には主に4つのフェーズがある。

第一フェーズは古代エジプトだ。直接的で残酷な人間消費が行われた。

人間の肉体は管理されたが、人間精神の創造的生産性はムチ、焼きごて、枷の届かないところにあった。

奴隷はひどく非生産的であり、管理するためには膨大な資源が必要だった。

第2フェーズは「ローマ様式」だ。

そこでは奴隷は自由、創意工夫、創造性を持つことができ、生産性を高めた。このことがローマの富を集中させ、さらにローマ政府の税収があがり、この余剰の富によってローマは帝国となった。そして権力の源であった経済的自由を破壊し……崩壊した。

こんなことはそう見慣れないことでもないはずだ。

ローマ崩壊後、封建モデルが「家畜所有」の概念と税制を導入した。

直接的に所有するのではなく、地方領主に支払う限りにおいて維持できる土地を農民は耕した。

このモデルは最終的には生産土地の持続的分割によって崩壊し、エンクロージャー運動のあいだに破壊された。土地は合併化され、先祖代々の土地から数十万人の農民たちが追い出された。新しい農業技術が、大きな土地を少人数でより生産的にしたからである。

中世後期の上昇した生産は、都市や街に必要な余剰の食料を生みだした。

これが人間所有の近代民主主義モデルを次にもたらした。

土地を失った農民が都市へ流れ込み、安い人的資本の膨大なストックが勃興する産業家たちに利用可能となった。

そして人間農業の支配階級は即座に気づいた。

「家畜」に職業を選ばせることによって、より多くの金を稼げることに。

民主主義モデルでは、直接的奴隷所有は「マフィア」モデルによって置き換えられた。

マフィアが直接ビジネスを所有することはほとんどない。

そうではなく、月に一度チンピラを送る。ビジネス・オーナーから盗むために。

君は自分の職業を選ぶことが許される。そのことで生産性があがり、さらに君が主人に支払う税金が上昇する。

”今この時間を大切にしろ。君たちの人生にはまだ選択肢があるが、それはすぐに去ってしまう。

君が10代になるとき、君は何でもできるし、何でもするだろう。

20代はぼやけている。

30代、家族を育て、わずかな金を稼ぎ、君は自分に問う。「何が20代に起きたんだ?」

40代、君はメタボ腹とメタボ顎を大きくする。音楽がうるさく聴こえ始めて、高校時代の元恋人には孫ができている。

50代、君は小さな手術をする。君はそれを処置と呼ぶ。だがしかし手術だ。

60代には大手術を受ける。音楽はまだうるさいが、聞こえないから問題ない。

70代、君と妻はフォートローダーデールに隠居する。君は夕食を2時に、昼食を10時に、朝食を前日の夜にとる。君はほとんどの時間をモールを超やわらかいヨーグルトを探すことと、「なぜ子どもたちは電話してこない?」「なぜ子どもたちは電話してこない?」とつぶやくことに費やす。

80代までには、脳卒中を起こし、君の妻が我慢ならないジャマイカ人の看護婦にぺちゃくちゃしゃべり続ける。君は彼女をママと呼ぶ。質問は?”

(映画”City Slickers”のワン・シーン)

君にわずかな自由があるのは、それが主人たちの利益になるからだ。

民主主義モデルの深刻な問題は、富と自由の向上が畜産家を脅かすことにある!

支配階級は当初、労働と資本の比較的「自由な」市場から利益を得ていた。

しかし家畜がより自由に慣れ親しむにつれ、――そして富が大きくなるにつれ、彼らは疑問を抱くようになった。一体なぜ「支配者」がいるのか、と。

ああ、まったく。人間農場が簡単だと言った奴はいない!

支配階級が税家畜を安全に保つためには、3つのフェーズがある。

第一は若者を政府の「教育」を通じて内ー教化することだ。

民主主義国の富が成長するにつれ、政府の学校は皆教育化された。家畜の思想、魂を管理するために。

第二フェーズは市民を互いに対立させることにある。「依存的な家畜」の創出を通じて。

力によって直接人間を支配することはとてもむずかしい。実現しても、ひどく非生産的なままとなる。北朝鮮で見られるように。

人間は直接飼育下ではうまく繁殖せず、効率的に生産しない。

ああ、だがもし人間が自分は「自由」なのだと信じると、彼らは「畜産家」たちのためにより多く生産するようになる。

この自由の「幻想」を維持する最良の方法は、家畜のいくらかを畜産家の名簿に加えることである。

既存のヒエラルキーに依存するようになった「牛たち」は、人間所有の暴力、偽善、不道徳を指摘する他の牛たちを攻撃するだろう。

(中略:警官が市民を射殺するレポート映像が流れる)

自由は奴隷制であり……奴隷制は自由なのだ。

もし「牛たち」が自分の境遇に気づいたときに、互いに攻撃させることができれば、直接管理するよりもコストはかからない。

「畜産家」の盗品である気前のいい施しに依存するようになった「牛」は、人間所有の利点に異議を唱えることに暴力的に反対するだろうからだ。

そして知識・芸術階級、つねに、そして永遠に「畜産家」に依存する者たちは、所有からの自由を要求する者にいうだろう。「君は友人の牛を傷つけようとしているのだ」

したがって、「家畜」は閉じこめられてしまう。暴力的なシステムの破壊の道徳的責任を、真の自由を要求する人々に転嫁することで。

第三フェーズは永続的に外的脅威を発明することにある。これは家畜を怯えさせ畜産家の保護に執着させるようにするためである。

 

この人間農業システムは終わりに近づいている。

現代の西洋経済システムの悲劇が起きたのは、過去の経済的自由にもかかわらず、ではなく、それが原因だったのだ。

19世紀の経済的自由によって生じた西洋の富の爆発的増大によって。

それはまさに、国家の権力と規模を拡大させた富の増大だった。

家畜が指数関数的に生産的になるにつれ、「畜産家」の数が増えてゆく。そして彼らに依存する者も。

国家の成長はつねに、先行する経済的自由に比例する。

経済的自由が富を生むのだ。

そして富は、その貪欲さが経済的自由を奪うような泥棒や政治的「寄生虫」を寄せ付ける。

言い換えれば、自由は国家のガンを転移させるのだ。

最小に始まった政府はつねに最大化する結果となる。

これが真に自由で平和な社会への実現可能、維持可能な代替手段がありえない理由である。

政治的支配者のいない社会――人間所有のない、税制や国家主義の暴力のない社会。

真に自由になることは、とても簡単で――とてもむずかしい。

私たちは自己奴隷化の恐怖を避けてしまう。直視するのは多大な苦痛だから。

死につつあるシステムの終わりない暴力をうやむやにしてしまう。仲間の家畜の攻撃を恐れるために。

しかし見ることを拒絶する限り、檻に閉じこめられたままでいるしかない。

目覚めよう。

農場を見ること、それが離れることだ。

終わりに 「人間農場」

この動画の内容は、平易かつ包括的で、アナーキズム初学者にぴったりなのではないかと思います。

投稿者のステファン・モリニュー氏は極右、または無政府資本主義者であり、私とは思想的には合いません。しかし、この動画は非常に共感できます。

とくに「政府は我々を守ってくれるんだ」「自由を与えてくれるんだ」という幻想を破ってくれる点。また、「教育」「分断統治」「恐怖の植え付け」といった、現代の支配層が私たちを管理するための基本的な統治技術を理解することができます。

ステファン氏の分析では、「国家が自由を与える→経済発展→国家が成長する→成長した国家(の泥棒や寄生虫)が自由を奪う→国家及びシステムの崩壊」のサイクルができており、資本主義システムも崩壊が近いことが予言されています。

どうでしょうかね?

ともあれ、私たちは「人間家畜」であり、社会は「人間農場」なのだ、そういった視点をもたないと社会の実態を理解できない、というのは私もつねづね感じていることです。

そして、それを「恐怖」から認識できない人間もとても多い。実に「恐怖こそ恐怖すべきものはない」ということです。

この動画を見れば、多少は私たちを取りまく世界の実態が見えてくるでしょう。

5 comments

  1. こういうリバタリアンの思想というのは新自由主義者と
    大差はないように思います。
    早い話が富裕層がもっと俺たちの好きにさせろ、政府は悪だから無政府にしろ
    全て民営化しろと言ってるようにしか見えません。
    彼らの思惑通りになればやってくるのは企業が政府に代わって全てを支配するディストピアでしょう。

    共産主義革命もそうでしたが、現行の体制の問題点は正確に描写しながら誤った解決策を持ち出しては
    人類の進歩を妨げるマルクスのような害虫人間というのはいつの時代にもいるように思います。
    彼らの手法に共通しているのは常に極端から極端へとブレるような解決法を意図的に
    提案して、決して双方の対立する二つの思想の間でバランスを取らない点でしょうか。

    1. コットン氏と同意見です。
      アナーキズムの危険性は、一歩間違えると新自由主義に利用されかねないところにあります。
      私が、今、富を持たない大多数の人間を不幸にしている原因は、国家による支配体制ではなく、新自由主義によって肥大化した大企業による政治的意思決定だと思っています。例えば、消費税の増税など。政府が市場に関与しないことで生まれたのは、資本主義の行き着く果ての超格差社会です。私は、国家を否定するのではなく、人々の幸福のために利用すべき(大企業の力を抑制する為に)と考えますが、この辺り御厨鉄さんの意見を伺えたら幸いでございます。

      1. そのとおりで、けっこう利用されています。
        新自由主義というか、無政府資本主義者がそうですね。
        ただ、私は国家と大企業は共犯関係にあると考えています。
        一昨年の拙い記事ですが……。
        https://mikuriyan.hateblo.jp/entry/2018/07/25/%E7%84%A1%E6%94%BF%E5%BA%9C%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%81%AA%E6%80%9D%E6%83%B3

    2. そうですね。私も訳していてリバタリアン的な部分に違和感を持ちました。
      他の内容はいいんですけどね。

  2. 初めまして、少し遅れたコメントですが
    自由を与えられるもの と捉えるか、自分で手に入れるもの とするかで見方が変わりますね。
    自由には責任が対になりますね、その責任を果たすには 力 が必要ですね。
    奴隷(エジプト?)の時代から現在の民主主義の時代までそれぞれの個人が
    力を付けてきたから、自由があるのだと思います。
    その力を維持する責任を疎かにすると、自由が減っていくのではないのかな?

    こんなこと書くと、憲法に自由が書いてあるんだと言う人がいますが
    過去、ヒトラーを選んだように、責任(力)を他人に押し付けると、憲法を改悪して
    自由を失ってしまいますね。そして悲劇が…

    力のバランスが上手く取れていると、より多くの人に自由と富が行き渡りますね。

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