2020-04-05

暗殺はまことに罪悪だが、しかし彼を絶望させる社会は一層の罪悪ではないだろうか。

1901年に万朝報に掲載された幸徳秋水の「暗殺論」を現代語訳しました。

原文は「近代日本思想大系13 幸徳秋水集」の他、ANARCHY IN JAPANで読むことができます。

Red Dance – Susan Rothenberg

暗殺論

暗殺は罪悪だと言うことは、糞尿は臭く穢れていると言うことと同じだ。だれも異存はないだろうし、論じる必要もない。そうであっても、糞尿は人体組織においてやむをえない結果であり、どれほど臭いや穢れを嫌っても、止めようとして止まるものではない。恐ろしい社会が暗殺者を生じるとしても、そのような必然的なものではないか。

戦争は悪事である。私はすみやかに戦争のない時代に到達することを願う。決して戦争を奨励すべきではない。だが現今の社会組織においては、ときに戦争を行う以外は、自国のぬれぎぬを釈明し、屈辱をまぬがれ、権利や利益を保全することがかなわない場合がある。そして道徳がこのような場合においても戦争を悪事として排斥するほど進んでおらず、国際法が戦争によらずに列国の幸福権利を保全するほどの能力をもっていないあいだは、戦争は最終的にはやむをえない必然である。戦争がやむをえない必然となれば、その罪を軍人に帰して、彼らを凶漢と呼び、意気地なしといきおい書いてみても、少しも効果がないことを私は知っている。現代の暗殺者の出ることを防止しようとする者は、この上なくこれに類似している。

ストライキは不良な行為だから、これを推奨してはいけないということはもちろんだ。しかしときに、労働者がこの不良な手段によって、困窮や危難を脱することのできる場合がある。現代の経済組織が、労働の対価を需要と供給の法則に準拠させているあいだは、一般労働者がたとえ餓死しても不良なことをしないという夷斉のような人物でない以上、ストライキは結局はやむをえない必然である。ストライキがやむをえない必然であるなら、その罪を単に労働者に帰して、彼らを凶漢と呼び、意気地なしといきおい書いてみても、少しも効果がないことを私は知っている。現代の暗殺者の出ることを防止しようとする者は、この上なくこれに類似している。

国際法が国際間の紛議を判決する能力がないように、また経済組織が資本家と労働者とを調和させることができないように、個人または党派の行為について、社会の法律も良心も、その是非や利害を判断してこれを制裁する力をまったく喪失すること、または喪失に似た状況になることがある。そしてこの社会の判断と制裁に絶望した人は、あるいは隠者となり、あるいは狂者となり、あるいは自殺者となり、あるいは暗殺者となる。暗殺はまことに罪悪ではあるが、しかし彼を絶望させる社会は一層の罪悪ではないか。

そうである、彼らは個人あるいは党派の行為に対する社会の判断と制裁の無力さに絶望し、自ら社会に代わり、この判断と制裁とを行おうとする者である。だからその胸中に一点の私情を挟むことなく、その意見が社会多数の意見に準拠して自分の肯定と否定を定められている傾向があるのは、争いようのない事実だ。私はすべての暗殺者がこのようであるとは言わない。虚名のためにする者、発狂のためにする者、私怨のためにする者もいる。これは大義ではなく功名のために戦争をし、私欲のためにストライキする者がいるようなものである。しかし、真にその時代の社会に絶望して、暗殺を社会唯一の活路とする暗殺者は、明らかに大多数の民衆の生活の味方ではないことはないのだ。畏れおおくも、中大兄皇子は蘇我入鹿の暗殺者であられ、日本武尊は川上梟師の暗殺者であられた。彼らが暗殺が常軌を逸しているとどうして知らなかっただろうか。ただ当時の社会の法律も良心も、なんら制裁を加えることができないのを見て、彼らは自ら社会に代わらんと信じたのだ。そして入鹿を斃(たお)し、梟師を討ち、これを社会多数の意見だと信じたのだ。はたして天下はこの暗殺に対して拍手をし、快いことだと述べた。このように、当時の法律、当時の道徳、当時の社会組織にあってこの行動があることは、やむをえない必然であって、人の力の押し止めることができないところであり、むしろ天意とも言うべきことだろう。

そうであれば現代明治の暗殺はどうか。暗殺は到底なくすことのできないものか。私はそうは思わない。現代明治の時代もまた実に、社会が、個人や党派の行為について、正当の判断と制裁の力を失っている時代である。

星亨(訳注:強引な政治手法と金権体質の元衆議院議員。51歳で伊庭想太郎に暗殺された)事件の一事を見よ。彼が正人君子とするならば、この正人君子に対して公然と盗賊と罵り悪漢と呼ぶ言論は、まさに社会がこれを非として十分の制裁を加えなければいけなかったことではないか。しかし社会はこれを判断し、制裁することができなかった。この反対に、星が悪漢盗賊とするならば、社会はすみやかに宣告を下し、公人として彼が立つことを許すべきではなかったのではないか。しかし社会は判断して制裁することができなかったのだ。世間の人々はすでに、社会の判断を得ることができず、社会の制裁を期待することもできず、社会に絶望する極みであった。ただ自分の視点で社会多数の福利であると信じることを断行するしかないと考えるに至って即座に暗殺者が生じるのではない。暗殺者である彼も、もとより暗殺が悪事であることを知っている。けれどもそれを無能力の社会に放任して、多数の福利の残害を傍観することを、彼は暗殺よりも大きな罪悪であるとするのである。これは古の殉教者(マーター)の心境ではないだろうか。(訳注:martyr、キリスト教殉教者のこと)

したがって、私は信じている。星の被害は、彼自身の行為も一因だろう、伊庭の愚かさも一因だろう、新聞紙の言論も一因だろう。その上で、その事件に至らしめた根本的大原因は、まさに社会がその判断と制裁の力を喪失したから、そうではないことはありえないのだ。

社会が判断と制裁の力を喪失するのは、その腐敗堕落の奥深くに入ったからである。彼らは公義を知らず、公益を見ることなく、あるのはただ自分ひとりの利欲だけ、権勢だけである。星という者のしていることは、自分の利益となればそれを褒め、自分に不利となればそれを罵る。ここに何ら判断や制裁がないとなれば、絶望者が生じるのはまったくやむをえないことである。私は恐れる、社会の腐敗堕落が現代の勢いでとどまることなく進むのであれば、ひとりの暗殺者を出すにとどまらずに、将来には多くの虚無党と、多くの無政府党を出すに至るかもしれない。これは単に腐敗した食べ物を食って急激な下痢をもよおすようなものであるから、ぞっとしてはならない。

そういうわけで、腐敗堕落を救い治療するためには、これ以外ない。今の経済組織を根本的に改造して、衣食における自由競争を廃絶すること、生活の困苦を除去して金銭崇拝の気風を掃討すること、万人に平等の教育を受ける自由を与え、社会的知徳を増進すること、万人に平等の参政権によって、国家社会の政治法律を少数者に独占させないこと、いいかえれば、近代社会主義の実行にある。社会主義によってよく実行されるならば、社会は聡明な判断と、有効な制裁の力を有することによって、暗殺の罪悪はおのずから跡を絶つことになるのである。これは世を治める君子が何度も再考すべきことではないだろうか。(万朝報 一九〇一年六月)

訳者あとがき

幸徳が暗殺を、戦争やストライキと同列に扱うことは興味深い。暗殺を「糞便のようなもの」とし、忌むべきことだが、避けられないものと表現する。

また、中大兄皇子や日本武尊(ヤマトタケル)のような皇族を指し、彼らも暗殺をしてきたではないかと過激な皮肉を加えている。

この文面は、同月に起きた星亨暗殺事件に関連して書かれたものである。星亨は強引な金満政治家として知られるが、死後には私財をほとんどもたず、清廉な部分も認められた。暗殺後には、彼を悪者として描きつづけた万朝報にも批判があったのだろう。幸徳の新聞記者という立場上、自己弁護的な部分も見られる。

ともあれ、腐敗堕落が社会的に裁かれぬ以上、暗殺が有効な手段でありつづけるという指摘は正しいように思う。たしかにそれは忌むべきものだが、実利的な手段であり、必然的な過程とも言える。

幸徳が言うように、暗殺は避けがたい「天の意志」というべきものだろう。

3 comments

  1. いつもブログ読ませていただいてます。
    愛した本の後編をぜひともお願いいたします…!

    1. そうでしたね笑
      まだ書いてませんでした。
      今月中には書きたいと思ってます。

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