2020-03-10

労働は人生を破壊する。

オランダのアナーキスト、ハーマン・シューマン(1897-1991)の苛烈な労働批判を紹介します。

原文はDe Moker誌に1924年に掲載された「Werken is misdaa」。英訳より翻訳。

Hope – George Frederick Watts

労働は犯罪である

言語のなかに、除去されるべき言葉や表現がある。資本主義システムの破壊的で腐敗した内容を構成する概念を指しているために。

第一に労働werken、そしてそれに関する言葉――労働者werkerや労働人werkman――労働時間werktijd――賃金wekloon――ストライキwerkstaking――失業労働者werkloos――余暇werkeloos。

労働は、人類が自らに犯した最大の恥辱であり最大の屈辱である。

現社会システム、資本主義は労働に基づいている。働かなければならない人々の階級を生み――そして働かない人々の階級を生みだす。労働者は労働せざるをえず、さもなければ飢え死ぬ。「働かざる者食うべからず」という言葉は、利益を計算し保護するふりをするオーナーも労働していると宣言する。

失業者unemployedと無労働者idleがいる。前者がなにも罪なく働かないとすれば、後者は単純に働いていない状態を指す。無労働者は労働者の労働に依存する搾取者であり、失業者は利潤を搾取することができないために働くことを許されない労働者である。すばらしい生産装置は、労働時間を固定し、作業場を構成し、労働者が何を、そしてどのように労働しなければならないか命じた。最初の数年間、労働者は飢えで死なないためには十分なだけの、子どもたちを養うことはほとんど不可能な報酬を受け取るだけだ。そして子どもたちは学校で指導される、次の労働者となるのに十分なだけの。同様にオーナーたちも子どもたちを教育するので、労働者を管理することが可能になる。

労働は巨大な呪いだ。労働は精神と魂のない人間を生みだす。

自分の利益のために他者を労働させるには、人格を損わなければならない。そして労働するにも、人格を損なわなければならない。こびへつらい、不正取引し、裏切り、だまし、偽造する必要があるのだ。

富裕な無労働者にとって、(労働者の)労働は自らに安楽な生活を提供する手段である。労働者自身にとっては、労働は不運の重荷、生まれたときから課された悪い運命であり、彼らがしかるべく生きることを妨げる。

労働をやめたとき、我々のための人生が始まる。

労働は人生の敵だ。よき労働者とは、でこぼこした足をもつ、愚かで生気のない一瞥をする荷役用動物である。

人間が人生を自覚するようになれば、彼は二度と働かなくなる。

明日にでもボスの元を離れ、労働なしでたらふくたべる方法をあとから知り、人生がはじまるのだと確信するのだ、と装う気はない。もしどん底であることを強いられているなら、それはすでにまったくの不運なのだ。働かずに生きることは、ほとんどの場合、働いている仲間を犠牲にして生きることになる。君がボスに搾取されることなく――誠実なる市民たちが言うように――略奪や窃盗によって生計が立てられるなら、やってみることだ。しかし、それでも巨大な問題が解決されると考えてはならない。労働は社会的病だ。この社会は人生の敵であり、破壊することによってのみ、すべて労働社会は追随するだろう――つまり革命に次ぐ革命を起こすことによって――労働の消失に。

だれもが純粋な本能によって創造するときのみ、人生は――完全で豊かな人生は――やってくる。そこでは、彼自身の運動において、それぞれの人間が創造者となり、美しくてよいものだけを生産するだろう。これこそが必要なことなのだ。それから労働者は消え失せ、おのおのが人間となる、生活に必須なもののために、内なる欲求のために、おのおのが休みなく創造する。合理的な関係のもと、必須の要求を満たすのだ。そこから単に人生が――偉大な人生が――ある、純粋で宇宙的な人生。そして束縛なき人間生命においては、創造的情熱が最大の幸福となり、空腹や賃金、時間や場所によって規定されることはなく、そしてもはや寄生虫に搾取されることがない。

創造することは激烈な喜びであり、労働することは激烈な苦痛である。

実際の犯罪的社会関係において、創造することは不可能である。

すべての労働は犯罪だ。

労働するということは、利益をあげること、搾取することへの協力である。それは偽造、欺瞞、害毒に協力することである、戦争の準備に協力することである、すべての人間性の暗殺に協力することである。

労働は人生を破壊する。

このことをよく理解したとき、我々の人生は違った意味をもつ。自己のなかの創造的衝動を感じるとき、それは卑劣で犯罪的なシステムの破壊によって表現される。そして、飢え死にしないためにやむをえず労働しなければならない場合は、労働を通じて資本主義の崩壊に貢献しなければならない。

資本主義崩壊のために働かなければ、人類の崩壊に向かって働くこととなる!

これこそが我々が各資本主義企業を意識的サボタージュしようとする理由である。ボスたちは我々の行動によって損失を被る。我々若き反逆者が労働を強制されているところにおいて、不可避的に、原料、機械、製品は機能しなくなることを強制される。歯車から歯は外れ、ナイフとハサミが壊され、もっとも必要不可欠な道具が失われることになる――そして我々は自分たちの方策と手段を連絡しあう。

我々は資本主義のためにくたばることを望まない。このことが、資本主義が我々のために死ななければならない理由である。

我々は奴隷のように労働するのではなく、自由な人間として創造したいのだ。このために我々は奴隷制システムを破壊しようとしている。資本主義は労働者の労働によって存在している。それこそが我々が労働者になりたくない理由であり、労働をサボタージュする理由である。

訳者あとがき

ハーマン・シューマンは比較的無名な人物ですが、100年以上前に書かれたとは思えない鮮烈な内容で私たちの心を掴みます。

彼は労働は「人生を破壊する」とし、そうであるから労働を破壊せよといいます。資本主義は私たちを殺す。だから私たちは資本主義を殺す、という思想です。

彼は労働者を不運な被害者として描くだけでなく、共犯者として批判します。労働者が働くのは不運の結果であり、飢餓を避けるためだからしかたがないが、そこで「意識的サボタージュ(破壊活動)」を行わない限りは「人類の崩壊」に加担する犯罪行為であると宣言する。

ハーマンにとって、労働とそれに基づく社会システムに対する反逆行為は、労働者が人生を守る自衛であると同時に、倫理的義務なのです。

労働が消え失せてはじめて労働者たちは「人間」となります。人間は、創造的情熱によって、美しくてよいものを創造する。ハーマンはその尽きない情熱よって人間の必要は満たされるといいます。

私もここ半年は労働しない生活を続けていますが、労働しない生活が創造的で真に豊かであることは日々感じています。一方で自分の生活が「他人の労働の犠牲」によって成り立っているという認識もあります。

ただ、私はハーマンの言うように、労働が破壊された社会ではすべての労働者の創造的情熱が解放される、とは考えていません。人類の多くは、社会的境遇の結果だけではなく、遺伝的に「荷役用動物」として生まれているでしょう。

この点は悲観主義的な個人主義者の思想とは異なる点かと思います。

ともあれ、少数の個人にとって労働はまさに「呪い」。そうそうに労働の呪縛から解放されることをおすすめします。

2 comments

  1. 初めてコメントを残させていただきます、はちべえと申します。
    労働の破壊と真の人生の開放は魅力的であり、実際そのように痛感していることです。
    ですが労働の排除は生産の排除であり、生産を撤廃した場合、次に起こるのは生産の機械化(自動化)だと思われます。
    それが実現した場合、無意味な労働の大半が消え、必要最低限の生産で済まされますが、そのシステムを構築した人々がそれ以外の人々のためにそのシステムと生産物(主に食料や家屋、衣類)の潤沢な提供を善意に基づいて行うとは到底思えません。
    現実的に起こり得るのは一部の経済的優位な人間たちの囲いでの循環になるのではないでしょうか。
    もし時代が遥か彼方に進歩を見出し日本が自動化されたアーコロジーとして機能すればいいですが、貿易を通じて生活資源を調達するならそこにも経済が介入します。
    労働は犯罪で、人間の自由の大半を奪う…確かにそうですが、同時に永遠に等しい呪いのようにも思います。
    農耕以前、人々の仕事量とは主に狩猟採集でした、そして暇を持て余そうものなら現代においても体力の衰えの加速や各部の疾患にも繋がり、結局は何らかの仕事量(熱量の消費)が必然的に必要となる…私たちは生まれた時からこの呪縛のような世界に居る、私はその様に感じています。
    これらを根幹から覆すには根本的でもっと枠組みを超えた生物学的な視点からの別アプローチが必要かもしれませんね。
    …と、足跡を残し、失礼させていただきます。
    誰かの犠牲の上であれ、あなたが手に入れた自由はあなたのものです、気兼ねせず謳歌してください。
    ではでは。

  2. いつもありがとうございます。
    毎回楽しみに拝見しております。
    私事にはなりますが来月仕事を辞めて、
    放浪の中で画家としてやっていこうと去年から
    腐心しております。
    あらかた準備などはできているのですが、
    いかんせんまだ若輩者ということもあり
    頭では理解しながらも
    安定からの脱却への「恐怖」があります。
    御厨様はそのような恐怖はございましたでしょうか?
    もしご経験がございましたら、
    それをどの様に克服されたか少しお伺いできれば幸いです

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